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スペシャル対談 第3回

 

 鈴木淳: なるほど。僕も嶋田君と同じ境遇なんですよ。小学校6 年生の秋くらいに父が急に転勤することになり、家族みんなで海外に行くことになりました。僕は志望校に受かることを目指して頑張っていたのですが、急遽帰国子女に寛容な学校を探すことになり、足で回って聞きまわるというのを祖母と母が、手分けしてやってくれました。結局、当時は麻布学園だけが「いつまでも外国に行っても問題ない。その間は授業料もいらない。ただ大学受験を考えると、高校2 年生で帰ってくるのがいいのでは」と言ってくれて、高校2年で日本に帰ることを前提に、麻布中学を受験することに決めたのです。

 

 嶋田雄介: まったく境遇が同じですね。私は神奈川に住んでいたので、聖光学院ともう一つの志望校のどちらの学校に行こうか迷っていました。一方の志望校からは「海外に行ってもいいけれども一学年絶対落とさなくてはならない」と言われていましたが、聖光学院には「学力さえ足りていれば海外に行っていても、学年を落とさずに大丈夫」と言ってくれたので、それならば聖光学院にしよう、という感じで決めました。

 

鈴木淳: それすごく共感しますね。「学年を落とす」ってすごいイヤですよね。私の場合も、麻布中学だけだったんですよ。学年を戻さなくてもいいかもしれないという可能性を残してくれたのは。他の学校は軒並み、一学年落とすとか、2年経ったら海外から帰ってこいとか、私の感覚からすれば、すごく高飛車なことを言う学校しかなかった。それと、嶋田君の親に反発した気持ちも、すごくよくわかります。日本にいたら、そのまま充実した生活を送ることができたし、第一志望の学校に入って、いろいろ楽しいことも待っていた、それなのにそれを一度横に置かなきゃいけなかったのですから、反発したくなりますよね。で、実際のところ、オーストラリアでの現地校での生活はどうでしたか?

 

嶋田雄介: 最初は英語学校に通っていて、そのあと現地校にうつったのですが、やはり幼いころに英語に触れていたことで「英語脳」みたいなものができていたようで、けっこうcatch upが早くできましたね。意外とスムーズに現地校での生活に慣れ、楽しく過ごすことができました。オーストラリアは、のんびりしたいいところで、移民も多くて、外国人が受け入れられやすかったですし、先生もみんなも優しかったので、いじめられることも一切なかったですね。


鈴木淳: ふーむ、恵まれていたんですね。

 

嶋田雄介: そうですね。逆にオーストラリアでよくなかったなと思う点としては、生活がのんびりし過ぎて英語能力が思った以上に伸びなかったなということです。オーストラリアでなく、もう一度アメリカに行っていれば、もっと英語能力が伸びていただろうと思いますね。こればかりは、仕方ないなといえば、仕方無いんですけども。

 

鈴木淳: 何事もいいこともあれば悪いこともありますからね。とはいえ、人種偏見とかそれに伴ういじめやからかい、無関心等、海外子女が現地で経験するこういったことと無縁で過ごすことができたということはラッキーでしたね。

 

嶋田雄介: 自分としては、いじめやからかい、無関心と無縁な生活を送ることができたのは、自分が努力した上で、さらに運も味方してくれたからだと思っています。パースはオーストラリアの西海岸の都市なので、インドネシアやマレーシアなどのアジア系移民が多くて、アジア人同士で結構固まってしまう傾向がありました。しかし、私はせっかくオーストラリアに来たんだし、そうやってアジア人同士だけで固まるのは嫌だなと思って、アジア人同士固まらないように、積極的に多くの人とかかわることを意識して過ごしていました。また、芸は身を助けるという言葉がありますが、まさにその通りで、「芸」によって、私は現地のクラスメートとよい関係を作ることが出来ました。ひとつのエピソードとして、たまたま小学校の終わりのころにチェスをやっていた頃があったおかげでチェスのやり方を知っていたのですが、偶然にも私が通っていたオーストラリアのクラスでチェスが流行っていて、クラスメートとチェスを通して良好なコミュニケーションを取ることができました。もう一つのエピソードとしては、自分は足が速いので、休み時間のときの鬼ごっこで目立つことができて、あいつ足早いぞ、とみんなに認めてもらえることができ、その後、一目置いてもらうことができました。まさに、2つの「芸」によって私は助けられたわけです(笑)。

 

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